立場が変われば

 小さな頃から、なぜか私に対する周りの期待が大きかった。家族は、私がぼんやり生きてるのを知ってから知らずか、私のことはずっと"おみそ“扱いだったんだけど。

 “おみそ“なんて表現は、今は殆ど使われないかな。言い方は悪いけど、みそっかす?とか、お荷物?的な存在のことなんだけど、“おみそ“には愛すべき存在のニュアンスもある、と信じたい(⌒-⌒; )

 私自身はぼんやり、というかのんびり、毎日を楽しんで生きるのに忙しかった。だから、周囲から褒められても深く考えず、受け止めるというか、聞き流していた。まあ、お世辞?社交辞令?

 周囲の期待がやたら大きいと初めて自覚したのは中学生の時だった。全科目の試験で最高点を取れとか、成績が学年トップになれとか、委員としてクラスをまとめろとか、クラス担任にやたらプレッシャーをかけられていた。

 いったいなんでそんなことを私がしなくてはいけないのか、理解出来ないし、やる気も全くなかったから、試験勉強なんてロクにしないし、授業はサボるし、委員もやりたくないからさっさと図書委員とかになってました。

 あ、授業をサボると言っても、図書館で本を読んでたり、頭が痛くて空き教室で寝てたりとかですよぉ。可愛いもんですね( ◠‿◠ )

 高校に進んでも、期待してくれてる先生方から贔屓されてましたが、変なのぉ、とか思うものの、マイペースで暮らしてました(^^)

 大学では逆に、特に期待されないし、他のクラスメイトが目をかけられてるのを目にして、まるで狐につままれたようでした。

 今思い出しましたが、期待してくれてる教授もいたわ!それに、何人かの教授には贔屓的にお世話になりましたが(//∇//)

 卒業後、高校の先生方やクラスメイトたちに会うと、みんなの私への期待が大き過ぎて、、、

 仕事を辞めて、家庭に入ってる時期に再会すると、なんか責められるし( ;  ; )

 現在の私は、毎日ソファで猫を膝に乗せて、お菓子を食べながらテレビを見ていグータラ生活してる。そんなことが中高時代の知人友人にバレたら、めちゃくちゃ叱られそうな、ガッカリされそうな気がする(-。-;

 私はそんな大したものではございません、とずっと思ってきたけど、いざ自分が先生側の人間になると“わかる“もんですね、もっと出来るとか才能とか(^^)