英語が話せるようになったのは

 中学生のとき、オーストラリア出身の英会話の先生が、英語を上達するにはとにかくたくさん英語を話した方がいい。だから、とにかく外国人を見かけたら話しかけるように、と言っていた。

 素直な私はその言葉に従って、一人じゃ怖いから(何が怖かったのかな、怪しいのはむしろ私の方だったかもしれないのに)、もっぱら修学旅行など味方がたくさんいるときに外国人に話しかけていた。

 中学の修学旅行の京都でも観光客らしき外国人に声をかけて、カタコトながら気軽に言葉を交わしていた。

 高校の修学旅行で倉敷に行った時には素敵なアメリカ人の家族と仲良くなり、その後しばらくの間手紙のやりとりまでしたことがある。写真を送りあったりもしたのに、いつの間にかそんなやりとりも途絶えてしまった。

 今ならメールでやりとりしたり、フェイスブックで繋がったりできただろうに、残念!

 あるとき、電車の中でとてもハンサムで背も高く爽やかな、いわゆるイケメンの金髪のアメリカ人らしき人を見つけた。はい、まさに見つけた、なんです(^^)

  一緒にいた友人たちと私は俄然興奮した。なんせ学校の先生の言いつけ(いつの間にかアドバイスから言いつけに変化していた)なんだから、声をかけないわけにはいかない。イケメンだからって怯んじゃいけない!

 そして友人たちに文字通り体を押されながら、そのハンサムな外国人に声をかけたのだった。ひゃあ(//∇//)

 わぁきゃぁ言いながら質問してみると、その人は上智大学の留学生で、大学に向かっているところだった。親切なことにその人は終点までの15〜20分くらい私たちの相手をしてくれた。

 図に乗った私たちはしつこく改札口までついて行き、いよいよお別れという時に、何と電話番号を聞き出すことに成功してしまった!やったぁ!

 数日後、みんなで一緒に学校の公衆電話のところに集まった。誰も自宅から一人で例の外国人留学生に電話をかけられなかったからだ。

 みんなで集まったものの、それまで英語で電話なんてかけたことないから、どうする?なんて言えばいい?とかさんざん大騒ぎしてからやっと電話をかけることになった。

、、、

ん?

番号合ってる?

何回かけても同じだった。そう、電話番号はデタラメだったのだ。期待と不安で盛り上がっていた私たちは、安堵と失望で静かになってしまった。

 あんなに親切に話し相手になってくれた優しそうな人が嘘つくなんて!でも、正直なところ、電話で英語を話さずに済んで、ちょっとホッとしてたりもした。

 今思い返すと、異国の地で、電車の中で、制服を着た見知らぬ女子たちに突然話しかけられ、さぞかし驚いたことだろう。

 別れ際に電話番号を聞かれても、私だったら絶対教えない!怖すぎる!世間知らずとはいえ、とんだ行動をしたものです。あのときの留学生さん、本当にごめんなさい。

 英語の上達にはネイティブスピーカーとたくさん話した方がいい、という考えはその後も私の頭の中にあったのだろう。

 電話番号こそもう聞いたりしないが、その後の人生でも、外国人を見かけると気軽に声をかけて、その場限りの出会いとおしゃべりを楽しんできた。お陰で度胸だけはついた気がする。

 見知らぬ外国の人たちとの英語を使ったコミュニケーションはいつもワクワクして楽しかった。大したことを話したわけではなくても、ある種の達成感や高揚感を感じていた。

 もっと話せるようになりたい、と毎回思っていたので、“英語の授業"は、もはや私にとって、退屈で難しい“勉強“ではなくなっていた。次に英語を話すときのために、自分の英語をレベルアップするために情報収集する時間だった。

 今はさまざまなSNSを通じて、世界中の人とコミュニケーションできる。そして、英語が1番便利なコミュニケーションツールじゃないかな。英語の勉強が苦手な人こそ、外国人と交流して、コミュニケーションの楽しさを感じて欲しい。そうすれば、いつの間にか英語が話せるようになるはずだから。