冬の思い出

今週のお題「冬のスポーツ」

 

子どもの時、スキー旅行に何回か連れて行ってもらったことがある。いつも父の知り合い家族と一緒だった。いつもそれぞれの家族の車で行くのだが、時には子どもだけ他の車に乗せてもらったりした。毎回同じ家族と行ったわけではないが、小さい時から交流のある家族ばかりだったので、子ども同士も仲良くていつも楽しかったのを覚えている。

ただ私はどうしてもスキーが怖くて、一人で滑ることが出来なかった。風をきる感覚というか、脇の下がスースーする感じに耐えられなかったのだ。

そういえば私はブランコも苦手で、前後に揺られると脇の下がスースーして、脂汗が出てきて、腕が硬直し始めてブランコから落ちそうになるのだった。それは今でも変わらない。

 

結局、どうやってもスキーを楽しめない私はいつも年下の子たちともっぱらソリ遊びばかりしていた。大人たちからすると私はちょうど良いお守り役で、それはそれで便利だったようだ。

 

スキーは恐怖感のせいで楽しめかったが、アイススケートなら平気かと言うと実はそうではなかった。

順調に滑り出すとやはり脇の下をスースーする感じがして、うっすら脂汗が出てくる。ただ、スキーと違って怖くなったらスピードを落とせばよかった。そうすれば、それなりに楽しめたりした。

アイススケートを私に最初に教えてくれたのは、小学校四年生のときの担任の先生だった。メガネの優しいその男性教師は、知的な見た目とは違い、運動神経も抜群だった。どうしてそんなことになったのかよく覚えてないが、その先生が にアイススケート教えてもらえることになったのだ。

果たして担任の先生はアイススケートも物凄く上手だった。リンクを颯爽と滑る先生は誰よりもカッコ良かった(ように思えた)。細かいことは殆ど忘れてしまったが、とても楽しかったことだけはよく覚えている。その節は大変お世話になりました。本当に先生ありがとうございました!

 

もう一つアイススケート絡みの思い出がある。こちらは少しほろ苦い思い出だ。

小学校5年生だったかなぁ。友だち姉妹がお父さんとアイススケートに行くとかで、なぜか私も一緒に連れて行ってもらえることになった。

遊園地にあったそのアイススケートリンクは確か2時間制だったような気がする。和やかにアイススケートを終え、さあ帰ろうというその時、目の前にゲームセンターが現れた。いや、正確にいうとゲームセンターはずっと前からそこにあったのだが、その存在に友だちが突然気がついたのだった。友だち姉妹はゲームセンターでどうしても遊びたいようで父親にねだっていた。二人の熱意に押されて、お父さんが少しだけならと折れると、二人はゲームセンターの中にわーっと走って入って行った。ゲームセンターが何か分からない私も慌てて走ってついていった。

中に入ると二人は私も誘って三人でゲームを楽しんだが、お父さんがくれた小銭はあっと言う間に無くなってしまった。二人は父親のところに小銭をせびりに行ったが首を縦には振ってもらえなかった。

その日私は母親からいくらかお金を渡されていた。小銭を貰えずあまりにもがっかりしている二人の役に立ちたくて、私はついそのお金を差し出してしまった。最初は千円一枚だけのつもりだったのか。いや、正直何も考えていなかった。最初の千円がなくなるとまた千円と、結局母に渡されたお金を全てゲームに使ってしまった。でも、私は少しも後悔していなくて、むしろある種の清々しい気持ちでいっぱいだった。残りの二人も同じ気持ちだったと思う。

 この後のことはほとんど覚えてない。母親にゲームの話をしても、叱られるというよりはあきれられたように記憶している。ただ何故かあの時のことを思い出すと、友だちのお父さんに悪いことをしたような気分になるのだ。

その友だち家族はあまり裕福な家庭ではなかった。平家の、お風呂も無いワンルームみたいな間取りに家族四人で暮らしていた。友だちが着ている洋服もいつも全体にうっすら汚れているような色をしていた。

アイススケートのお金を払うとき、母に自分で払うようキツく言われていた私は、友だちのお父さんが払ってくれるというのを断り、自分で払おうとした。本当に払ったどうかは定かでないが、私のその言動はもしかしたら友だちのお父さんの自尊心を傷つけただろうか。

ゲームセンターで、大金(当時の小学生に大金だった)を差し出す私の行動はどう思われていただろうか。

私のその時の行動が友だち家族の自尊心を傷つけてしまったのではないかと、私は長い間苦しんできた。

私自身が親になった今思い返してみると、もしかしたらなんとも思われていなかったような気がする。そして、自尊心を傷つけてしまったのではないかという発想そのものが失礼なことなのではないか、と。

冬になり、テレビなどでアイススケートのリンクを目にすると、今も私の胸はチリッと痛むのだった。