デジタルもいいけど

最近は持ち運びの煩わしさがないためか、保管の利便性のためか、新聞や雑誌その他の紙媒体もすっかりデジタルに取って代わられた感がある。昔ながらの、町の小さな本屋さんはそれだけでは経営が立ち行かなくなって、生き残りのための道を模索したり、店じまいを余儀なくされていたりする。

 昔は電車に乗ると、マンガや小説などを広げて読んでいる人を必ず目にしたように思う。スマホはおろか携帯電話もない時代だ。移動の時間潰しと言えば、寝るか本を読むしかなかった。たまにお化粧しているツワモノを見かけることもあった。

 そう言う私も電車などの移動時間は読書にあてていた。どんなに続きが気になろうと、目的の駅に着けば読書を中断せざるを得ないから、読書の誘惑に弱い私には都合がよかった。

 もっとも小学生の時は歩きながらでも本(主にマンガだけどね)を読んでいた。母が気味悪がるほどの集中力を持っていた私は、本に夢中になり思いっきりポストや電信柱にぶつかり、おでこにタンコブ(わかるかな?)を作っては親に呆れられていた。歩きながら小説やマンガを読むなんて信じられないかも知れないが、私からすると、歩きスマホと大して変わらない。意外と時代を先取りしたスタイルだったんじゃないかな(^^)

  中学生になると、どんなに本に夢中になっていても、障害物にぎりぎりのところで止まるという特技?を私は身につけていたので、歩きスマホで人にぶつかるとか、まして階段や駅から落ちるなんて、私からすると修行が足りん!という感じだ。(どんぐりの背比べ?ですね)

 私はもともと何か考えているときは周囲の音が聞こえなかった。特に本を読んでいると集中してしまい、文字通り夢中、夢の中、本の中に入り込んでしまい、全ての情報を遮断してしまうのだ。そうなると、親がどんなに声をかけても聞こえない。そんな私の集中力を母親は気味悪く思っていて、とうとう本を読むことを禁じ、邪魔しようとした。マンガだけでなく、物語や小説までも、だ。

 見つかると捨てられたり取り上げられたりするので、私は本を買うことを諦め、図書館で借りることにした。図書館の本なら例え見つかってもさすがに捨てたり出来ないだろうと考えたのだ。マンガはもう立ち読み一択だった。近所に立ち読みし放題の本屋があり、中にはしゃがみこんでマンガを読んでいる子も結構いた。

 図書館の本だから捨てられることはないとは言え、読んでいるところを見つからないに越したことはない。私は夜中に布団をかぶって懐中電灯の明かりで本を読むことにした。これは意外と快適で、途中で親に邪魔されることがないため、心ゆくまで読書を堪能できた。気がついたら朝だったなんて一度や二度ではなかった。

 そんなことをしていたら寝不足顔で親にバレそうなものだが、意外なことに全然親にバレたりしなかった。私の両親は一緒にいる時はあれこれうるさく厳しかったが、見えないところで私が何をしているかを気にしてる気配がなかった。よほど信頼していたのか、生活に忙しかったのか。

 好きなだけ本を読んでいた私はそのせいで視力がどんどん落ち、あっという間にメガネが必要になってしまった。その時も両親は私だけが遺伝のせいで目が悪くなったと思っていたので、夜な夜な布団の中で本を読んでいたことが原因とは全然親にバレなかった。

 そもそもこんな本好きになったのは、親の教育のせい、もといおかげでしょうって?いえいえ、とんでもない。本を取り上げられこそすれ、母に絵本を読んでもらった記憶なんて皆無だ。強いて言えば、父のおかげかな。忙しかった父はたまに子どもたちを本屋さんに連れて行ってくれた。そして、

買って欲しいものをレジに持って来い!

みんな買ってやるぞ!

 この言葉を合図に私たち兄妹は本棚から本をかき集めてレジに運んだものだ。何度も本屋さんでこんな風に買ってもらってると、とだんだん選ぶものがなくなってくる。次第に私たちは連載ものをまとめて買ってもらうようになった。ある時は兄と一緒に36巻まるまる買ってもらったこともある。

 父が買ってくれた本はさすがに母も捨てたり出来なかったから喜んでいたが、その後の引越しの時にこっそりまとめて処分されていた。母は私たちのマンガは段ボール箱に入れて物置にしまってあると説明していのだ。その話をずっと信じていた私と兄は、5年後の引っ越しの時にちょうど良い機会だと、ウキウキしながら物置の箱を開けることにした。

 ところが、物置いっぱいの段ボール箱を開けても開けてもマンガが出てこない!全て開けた時の衝撃は今でも鮮明に覚えている。無いのだ。一冊も無い。兄の漫画も私の漫画も。母は私たち兄妹を5年間も騙していたのだ!よく良心が痛まなかったと感心してしまう。私だったら三日ともたず白状してしまうところだ。

 閑話休題

私が通っていた幼稚園では毎月だったか、隔週だったか、毎週だったか覚えていないが、子どもたちに絵本を配ってくれた。私立の幼稚園だから、絵本代も支払いに入っていたんだと思うが、絵本はどれもカラフルなもので例え文字が読めなくても、見てるだけで十分楽しめた。

 絵本のお話は日本はもちろん世界のあちこちの昔話だった(ような気がする)。今でもペチカの絵や大きなカブの絵が頭に浮かんでくる。(あれ?どちらもロシアのお話だわ。私が大学でロシア語を選んだのってこの影響?)

  幼稚園の先生は、“お家に帰ったらお母さんに読んでもらってね"とかなんとか言っていたような気がするが、私の母は読んでくれたのかなぁ。全く記憶に無い。

 絵本は一度幼稚園で先生が読み聞かせてくれてたから配られた(気がする)。だからストーリーは覚えているので、思い出しながら絵本のページをめくっていた(ような気がする)。幼稚園の先生にお手紙を書いて渡したりしていたから、もしかしたらもう字を読めたのかな。その辺の記憶はどうも曖昧だ。

 唐突に思い出した!幼稚園で眠りの森の美女のアニメ映画を見に行ったことがあった。確か親子で観に行った筈だ。その時に映画の絵本を母が買ってくれたんだった!絵本というにはとても立派な本で、ピカピカつるつるの綺麗な表装のその本はとても重かったけど、その重さが本の凄さを表しているみたいで、なんだか誇らしい気持ちななったのを覚えている。あの本はまあまあ高額で、当時あまりお金を渡されていなかった母には正直かなりの負担だったと思う。だけど買ってくれたのだった。当時はそんな事情は知る由もなかったが、それでも私は物凄く喜んで、嬉しくて何度も読み返していた。その本を見るだけでも幸せな気分になるのだった。

 昨年、終活の一環で処分するまでその本は私の本棚を飾っていた。大切にしていたと言っても40年以上も経っていればそれなりにボロボロになっていた。この本を私の子どもに処分させるのはなんだか違うような気がして思い切ってさよならしたのだった。本を処分したときは寂しい気持ちになっていたが、こうして思い返すと、月並みだけど思い出は色褪せず、今も私を幸せな気持ちにしてくれて、心がじんわり温かくなる。

 デジタルの本はとても便利だけど、紙媒体の本を持つのも悪くないかも。こんな素敵な思い出ができるなら。