初恋?

幼稚園から小学校ぐらいまで、私はペコちゃんみたいな顔をしていた。

ぱっちりくりくりの目でオカッパ頭、ほっぺはぷっくり、胴がかなり短くて手足がひょろっと長かった。

加えて、何が楽しいのか、いつもニコニコしていて、誰にでも懐いて、お喋りするのが大好きだった。ちょっと頭が花畑みたいに見えていたかもしれない。

人見知りなんてぜーんぜんだったので、知らない人にもへっちゃらで話しかけていた。それは母と一緒のときにもやっていた。魚屋さん、八百屋さん、酒屋さん、買い物に行く先々で、母がお店の人とやりとりしてる隙に他の客さんとおしゃべりを始めてたりとかはザラ(はい、ZARAではありません)だった。

だから、ずいぶんいろんな人に可愛がられたものだ。私は大変な食いしん坊でもあったので、お菓子なんて与えられると満面の笑顔で喜ぶものだから、よく珍しいお菓子をもらっていた気がする(o^^o)

ナイス、私(^ ^)

 

ただ、好奇心が旺盛だったのは、今思うと行き過ぎだったかもしれない(⌒-⌒; )

同じ年の子どもと遊んでいても、興味を引かれると、友だちのことはそっちのけだった。困った友人が私の親に泣きつきに行くなんて、何度あったか分からない。話を聞いた母が探しに来ると、道路に座り込んで郵便配達員と楽しそうに盛り上がっている私を発見したこともある。この時はお仕事の邪魔をしてとこっぴどく叱られたけど。

当時の私のお気に入りは新聞配達のお兄さんだった。すらっと背が高くて、爽やかなその青年は(この頃から面食いだったのね)私だけでなく、マンション中の子どもたちの人気者だった。

お兄さんがマンションに来ると子どもたちは大喜びだった。お兄さんは新聞を抱えて階段を駆け上がり、走りながら各部屋のドアの新聞受けに新聞を入れていく。遅れまいと、というよりついて行こうと私たちは大騒ぎしながら必死だった。マンションの配達を終え身軽になったお兄さんがひょいっと階段から飛びおりると、私たちはもう大興奮だった。

お兄さんは自転車で新聞を配達していたのだが、時にはその後を走って付いて回っていた。結構な配達量だったので、他の女の子はだいたい途中で脱落して、最後まで残るのはもちろん私と数人の男子だけだった。

今思うと配達の邪魔だったのではと申し訳なく思ったりもするのだが、もしかしたら、お兄さんも楽しかったのかもしれない。

大人になってから知ったのだが、新聞配達には奨学制度みたいなものがある。確か、在学中新聞配達する代わりに学費を援助してもらえるんじゃなかったかな。その頃は住み込みのところも多かったみたいだ。

新聞配達は早朝と早めの夕方だから、かなり大変ではあるが、学校と両立しやすいためこの制度は今も感謝されているらしい。ただ、勉強には支障がないが、友人との付き合いは難しい。早朝に自転車での配達があるため、夜遅くまで飲みに行くなんてとてもじゃないが無理。

もしあの時の配達員のお兄さんが奨学生だったら、友だちと遊ぶ時間もなく、もしかしたら友だちもいなくて、孤独、だったかもしれない。そんな時に自分を慕って、子どもたちが賑やかに嬉しそうに付いてきてくれる。自分を見かけると幸せそうに声をかけてくれる。親御さんたちも、いつもすみませんとかありがとうとか、時には大変ね、体に気をつけてねとか、声をかけてくれる。もしかしたらそんな状況だったのではないか。

全ての配達が終わると(はい、私はよく最後までつきまとってました(⌒-⌒; )

お兄さんは空いた荷台に私たちを交代で乗せてくれることがあった。配達用の自転車は子ども用の自転車とは比べものにならないくらい大きく、それでいて母親たちが乗っているママチャリとも全く違う、シンプルなそれはとても特別なモノに見えた。少なくとも私たちにはとても特別なモノに思えたのだ。

ある時どこだったか空き地みたいな場所だったような気がする。それとも車の通らない裏道だったかな。配達を終え、むき出しになった荷台に乗せてもらって、いつもと違ってビュンビュン飛ばすお兄さんに必死に掴まりながら、何故か私はとても誇らしく感じていたのだった。