人生訓✨

 人生について考えるとき、必ず思い出す漫画があります。それは大島弓子先生の“毎日が夏休み

 この漫画を思い出すとき、胸の奥が何故か少しチクリとする。んにゃ、何か切ないモヤモヤかも。

 ストーリーを端的に言うと、登校拒否の中学生の娘と、当社拒否の義父が、一緒に事業を始め、紆余曲折を経て、最終的には立派な企業になり、娘が跡を継ぐ、というもの。

 義父は、義理の娘のことを思いやり、手元に置いて育てるためになんでも屋を企業する。そして、二人で朝から家事をこなし、それから義父が勉強を教えて、その後二人で仕事に行く。

 事業を引き継いだ娘が、若い頃の義父の授業を回想して、こう思うのです。義父とお茶を飲みながら、様々なことを教えられ、語り合った日々を、“永遠の夏休みのようだった“と。

 この、夏休みのようだった、と言う表現がとても好きで、素敵だなぁ、と心に沁みます。当時大学生で、長い夏休みにいろいろ学んでいた自分と重ねていたからかもしれません。

 もう一つ、人生について、人生の目的について考える時、思い出す言葉があります。それは、“人生は大いなる暇つぶし“。

 これは本当に実感としてそう思います。目的や意義なんて、結局後付けなんじゃないかな。何か面白いことや楽しいことをしているに過ぎないんじゃないかな、私の場合は。

 どうせ何かしなくちゃいけないなら、楽しくやる、面白くする、集中する(のめり込むに近いかも)が私のモットー(^^)

 束縛や強制に拒絶反応がある、私の知恵?人生訓です。

 夏休みって時間がたっぷりあるように見えて、あっという間に過ぎちゃいますよね。人生も同じ気がする。

 夏休みのような“暇=時間“を“潰して=何かをして過ごして“生きてるんじゃないかな。まあ、どう潰すか、どう過ごすかは、人それぞれ、その時々で違うでしょうけど。

 時に全力で、時に休んで、時になんとなく、時にダラダラと、時にぼーっと。

 暇つぶし、だからといって、無責任に生きる、というわけではなくて。心構えとして、思い詰めない、という感じ。

 一所懸命、悔いのないようにやれば、その結果が期待通り、思い通りではなくても、ケセラセラ。所詮人生は暇つぶし。あ、ケセラセラ、も人生訓でした(^^)

 あまり思い詰めたりしないで、やるだけやったら、ね?あとは肩の力を抜いてもいいんじゃないかなぁ。どうでしょう?